沿革・業績

1965年12月

代表者一郎は京都大学付属病院、公立豊岡病院勤務を経て遠藤医院を開設した。

1968年頃

当時の世相を反映して全学連その他による所謂”学園紛争”烈火の煽りを受け圏内各病院の耳鼻咽喉科勤務は皆無となり殺人的な診療スケジュールに追われる日々が続き 昭和52(1982)年公立豊岡病院への常勤復活まで10年余り超多忙な状態であった。また、専門医不足のため1960年から係わってきた地域児童・生徒への学校耳鼻科検診も大変で豊岡市内の公立高校・中学校・小学校・幼稚園の全てを一手に引き受けてきた(後年この件について県知事表彰の栄に浴した)。

1977年頃

この頃から地域医療推進のため多忙な中 豊岡市医師会代表会議長、兵庫県耳鼻咽喉科医会副会長に就任 それぞれ十余年勤めた。

2010年2月

一郎は高齢のため遠藤 剛医員と交代の予定である。
剛は、1996年神戸大学医学部卒業後、京都大学耳鼻咽喉科学教室入局、大津赤十字病院で研修し、耳鼻咽喉科専門医資格取得後、京都大学大学院を修了、2005年オーストラリア・シドニー大学留学、公立豊岡病院耳鼻咽喉科医長に就任し、当院に勤務中である。

2010年2月1日

大開通沿いに最新の設備・体制で「耳鼻咽喉科えんどう医院」移転 再スタート。